エディー・ジャパン、いよいよ発進である。
新しいジャパンの船出は、いつも心が躍るもの。
そこで、今回“発掘”したのは、1989年、“宿沢ジャパン”の船出のレポート。ラグビーファンならご承知の通り、日本代表が、史上初めてIRBオリジナルメンバーから金星を奪うことになる。
この記事はその直前、1989年5月25日に発売された『ラグビーワールド』1989年7月号に掲載された直前展望レポートだ。
勝利を願う、信じたい、信じよう。読み返すと、記者自身が自分にそう言い聞かせているのが分かる。日本代表はここからスコットランドを倒し(相手は後に、正式な代表ではないとしたが)翌1990年には初めて行われたワールドカップのアジア・太平洋地区予選を勝ち抜き、その翌年1991年にはワールドカップ初の(そして現在まで唯一の)勝利を挙げる。
日本代表の黄金時代(と呼ぶのが大袈裟なら、充実期)を目前に、ラグビーファンの多くが昂揚感を抱いていた1989年に、タイムトラベル!
ベストメンバーから、主力9人をブリティッシュ・ライオンズにとられて来日したスコットランド、それを迎え撃つジャパン。
「鬼のいぬ間に、と期するところはある」(金野滋日本協会専務理事)
「勝つつもりです」(宿沢広朗監督)
「実際勝てるんじゃないか、という気運がチーム内にも高まっている」(平尾誠二主将)
“金星を期待して下さい”といいたげなコメントが、ジャパン首脳の口からポンポンと飛びだした。しかし、やはり5カ国対抗で鎬を削っている強豪だ。来日初戦は関東代表を91対8と一蹴である。
締切の都合上、第3戦以降の結果はまだわかっていないが、5月5日のジャパン×関東代表、5月14日のスコットランド×関東代表、5月17日のスコットランド×九州代表の3試合などをもとに、28日のテストマッチを占ってみよう。
91点もとられ惨敗の関東代表だったが穴も発見
スコットランドの来日初得点は、キックオフからわずか2分後だった。通算キャップ36という歴戦の猛者・N08パクストンの強引な突進を、関東代表の誰も止められず、まだ汚れていないボールは、インゴール中央にあっさりと置かれたのである。
80分間に築かれたトライの山は15個。うちFWの選手が記録したのは3個。WTBアイヴァン・ツカロの4Tなど、大半はBKの選手がトライをあげた。しかし、勝負の分かれ目になったのはFWの集散の差により、関東代表がボールを支配できなかったことにつきる。スコットランドのBK陣は、とりたてて変わった攻撃をしかけてくるわけではなかった。
前半24分、右オープンに出たボールを、左CTBショーン・リニーンから右CTBブライアン・エドワーズに回すとみせて、右WTBマット・ダンカンがクロスして走り切った1本と、後半8分、センタースクラムから右オープンでリニーン、エドワーズの2人がループでマーカーを外し、やはりダンカンが走りきった1本。意図的なサインプレーは、この2本くらいしか見られなかった、
むしろ2次、3次攻撃になると、関東代表がCTB石川敏(東芝府中)、藤掛三男(早大)らの積極的なタックルで攻撃を止める場面が目立った。
しかし、1対1のコンタクトができた場所に、あるいはイーブンボールが転がった場所に、駆けこむのはいつも濃紺のジャージー。スコットランドだったのである。関東代表のFWが、ようやくポイントに駆けつけたときには既にBKにボールが展開されていた。あるいは密集をFWの選手が強引に突き抜けていった。
関東代表はこの一戦のため、BKにハードタックラーを並べた。SO加藤尋久(明大)、左から、今泉清(早大)、石川、藤掛、佐藤竜(リコー)と並べたTBラインは、攻撃よりむしろ「ジャパンの援護射撃として、何人か壊してくれれば儲けもの」(白井善三郎・日本協会強化委員長)を狙ったような布陣。事実、後半13分には突進するダンカンが、佐藤のタックルで体勢が崩れたところ、ヒザに加藤の頭突きが炸裂。さらにN08大森渚(サントリー)の浴びせ倒しで、ダンカンは医務室に追いやられた。SH村田亙(専大)の果敢なタックルも目を引いた。
スコットランドのJ・ディクソン監督は試合後「関東代表の激しいプレーのため、我々の力は45~50%しか出せなかった」と話したが、関東BKのプレッシャーが、個々の局面ではスコットランドBKのパスミスを誘発していたのは確かだ。
攻撃をとっても石川、藤掛のCTBらしくない突進は大きく陣地を前に進めた。しかし、捕まったときに、FWの支援がなかった。2次攻撃のボールが出ない。また、日本が出しそうになったラックを、もう一押しして奪い返す力がスコットランドにはあった。
関東代表の奪った2つのトライは、いずれもBKのタテ攻撃をFWが支援し、早いタマ出しから展開して今泉が飛びこんだもの。日本のお家芸(であったはずの)速いポイント移動による見事な“接近・展開・連続”攻撃で「グッド・アタック。あれでは止められない」とリチャード・ディクソン監督に賞賛されたが、それが80分間で2回だけとは寂しい。まして、スコットランドはスクラムを、ほとんど押していなかった。
「スコットランドは5カ国対抗の中でもスクラムを押してくるチーム。本気になったら、どこまで押すのか見たかったのに」と偵察の宿沢監督が嘆いた。
結局のところ、日本のかねてからの課題である密集プレーの差が、そのままスコアに出てしまったのである。1対1ではFWの選手も健闘していたが、ボールを出せないのでは話にならない。かくして、スコットランドの誇るツカロ、ダンカンの両翼、元オールブラックスの父を持つリニーンらも、さほど“凄さ”を感じさせぬままトライの山を築いた。
第2戦は日本でも最も選手層の薄い九州代表が相手だった。だが、雨中の悪コンディションもあって、スコアは45対0。特に前半は九州のディフェンスが健闘した。
「もっと期待できるのはアンダー23でしょう」と宿沢監督は言った。NZ遠征で4勝2敗という好成績を収めた“若桜”が、宿沢監督の望みの綱となるか?
成否を握るディフェンスからみたジャパンFW
来日早々、猛威をふるっているスコットランド。よくいわれることだが、海外に遠征しているチームは地元にいるときと違ってラグビーに専念して生活できるので、日を追って強くなる。さらに共同生活が、チームに一体感を与え、実力以上の力を発揮することがある。とすると、スコットランドも最終戦のテストマッチまでの2週間で、さらに強くなっていることになるが、その難敵に“宿沢ジャパン”はどう臨むのか。
宿沢ジャパンの骨格になるのは、まずディフェンスだ。「失点を20点以内に抑えないと勝機はない」と宿沢監督は早くから明言している。
20点。PGが7本入れば超えてしまう。しかもスコットランドのFBカメロン・グラスゴウは、第1戦で15回のコンバートを14回成功(PGは1回成功1回失敗)している凄腕だ。失トライは2本が限界。3本とられたら絶望的、といったところか。逆にワールドカップではオーストラリアから3トライを奪ったことのある日本である。トライ数で2、PGが3本、ズバリ、このへんが勝負の分かれ目になる。
そのディフェンスの成否を握るのが、まずフロントローだ。
「ある程度、走ることを犠牲にしてでもスクラムの強さで選手を選んだ。スクラムで押されてしまうと、後ろ5人が全部走れなくなってしまうからね。太田治(NEC)、田倉政憲(三菱自工京都)は文句なしに国内ではスクラムが一番強い。藤田剛(明大OB)はスクラムワークが非常にうまく、若い両サイドをリードできる」と宿沢監督。14日の関東代表との試合では、FW戦の優劣がスコアにそのまま反映しただけにFWの責任は重い。
宿沢監督自身「かつて、ジャパンが世界のトップと互角にスクラムを組めた経験があった」と、83年のウェールズ遠征(24対29)を例に出して「石山(次郎)、洞ロ(孝治=両PR、ともに新日鐵釜石)が、しっかりスクラムを組み、河瀬(泰治=東芝府中、FL)、川地光(九州電力、FL)、千田(美智仁=新日鉄釜石、No8)の第3列がすごくよかった。今のジャパンも、あと1年、練習と経験をつめば、あのときより、いいチームになるんじゃないか。BKにしても、例えば堀越(正巳=早大3年)-青木(忍=大東大4年)のハーフ団は小西(義光=サントリー)-松尾(雄治=新日鐵釜石)以上のペアになると思う」と、十分に自信を持っている様子だ。
ロックの林敏之、大八木淳史(ともに神戸製鋼)はそのウェールズ戦と同じ顔ぶれだ。184cmと“国内級”の林ではラインアウトの苦戦は免れないが、187cmのFL梶原宏之(東芝府中)、185cmのN08シナリ・ラトウ(大東大4年)がカバーする。それに、国内では最長身の白川和博(新日鉄八幡・195cm)や中村幸司(ワールド・194cm)らを並べたとしても、世界はもう一段上に行っている。今回のスコットランドのメンバーも、LOはダミアン・クローニン、ヘイド・マンローが198cm、クリス・グレイが196cm。第3列にも190cm以上を3人揃えている。
「どっちにしても、ラインアウトは苦戦するからタッチキックは極力蹴らず、中盤くらいから思いきって、つないで攻める」という宿沢構想からいえば、LOはスクラムを押すこととタックル。そしてラックプレーでの貢献こそが求められてくる。
そして第3列。監督就任直後から宿沢監督が強調していた攻守ともに最大のカギを握るポジションだけに、要求レベルは高いが「日本が生んだピカイチの第3列選手」と宿沢監督の信頼の厚い村田義弘コーチ(中大-リコー、キャップ11)の“熱血指導”で目を見張る成長をみせている。
「ラトウは大東でやってるときは、あんまり走らないけど、エイトの走るコースどりとか憶えてきたし、梶原のディフェンスの強さは買える。中島(修二=NEC)、平野(勉=日新製鋼)はスピードがあるから、どれだけボールのあるところでプレーできるかが課題。でも、一番重要なのはサイド防御を固めること。サイドを割ってこられるのが一番イヤだからね」
昨年のアジア大会では第3列のディフェンスの出足が悪く、韓国FWの突進をジャパンBKがもろに食い、消耗戦で敗れたという反省もある。
「本当は第3列をもっともっと強化したい。BK並みのスピードのある選手を両サイドに置いて、ディフェンスでもアタックでも、いつもボールのところにいるオールラウンドな選手が欲しいんです。今のところはディフェンスの強さを基本にしてますが、将来的にはそういう選手を見つけて、ジャパンの中で育てていきたい」と宿沢監督。元ジャパンの宮本勝文(三洋)がNZ留学、神田識二朗(九州電力)が膝のケガで選考から外れていたという事情もあるが、抜擢された梶原、中島にとっては好機だ。
相手の弱点は防御。日本はキッカー不在だが・・・
一方のBK。堀越-青木のHB団には、宿沢監督は合格点を与えている。
「青木は前に出てプレーできるSO。だから平尾がついていって前で動ける。それに青木には強さがあるから、つぶされても次のボールが出る」
5日の関東代表戦ではミスキックが目立った。これはSH堀越も同じだが、不用意なキックミスは攻撃のリズムを崩してしまう。しかし、それさえ気をつければディフェンスには定評のあるコンピだけに、期待できる。
そして問題のTBラインの攻撃。日本代表は、ウォームアップ試合となった5日の関東代表戦、13日のリコーGでの練習で、ともに浅いダブルラインからのアタックを多用していた。
「2次攻撃まではサインで決めておいて、3次攻撃で(トライを)とる」のが宿沢構想で
「サインはラインアウトやスクラムサイドからの攻撃を含めて20数種類考えている」
1次攻撃でダブルラインを使う狙いは「ポイントの位置にもよるけど、ディフェンスが出にくい。なるべく一次攻撃でゲインラインを大きく切ったところでラックを作りたい」と説明する。また、182cmと大柄なFB山本俊嗣(サントリー)のキープカを買い、一次攻撃でCTBの位置に置いて突っこませたり、後方からのライン参加をさせたりの練習をくり返していた。
「スコットランドの5カ国対抗のビデオなんかを見ていると、ディフェンスが意外ともろい。カッチリとしたディフェンスはしてこないから、割と単純なトライのとられかたをしている。ボールをとれさえすれば、トライチャンスはたくさんある」と宿沢監督は分析している。たしかに、関東代表の奪った今泉の2トライにしても、抜群の個人技が発揮されたものでも、複雑なサインプレーを駆使したものでもなかった。むしろ、石川をはじめ藤掛、佐藤らのパワフルな突進に対し、スコットランドBKラインのディフェンスは意外なほど、もろかった。
まして、ジャパンのBKには吉田義人(明大3年)、平尾、朽木英次(トヨタ自動車)、ノフォムリ・タウモエフォラウ(三洋電機)と判断力、決定力のあるワザ師が揃っている。これらのことを考えると、ボールさえとれれば、20点以上の得点、そのための3つ以上のトライというハードルをクリアすることは、さほど困難ではなさそうにも思える。
実際、日本代表は86年の英国遠征でもスコットランドとのテストマッチでは3Tを記録している(もっともこれは勝敗の見えた後半25分すぎだったが)。しかし、このときはゴール成功がゼロ。1PG、1DGを成功させただけで、3Tをあげながら18点止まり。試合開始直後、20分間に3度あったイージーなPGを松尾(同大=当時)が外したのが響いた。
こと得点力に関する限り、プレースキックこそが最大の課題であることは当時も今も同じだ。86年の遠征での課題が改善されないまま、翌87年のワールドカップに出かけ、またもゴールキックを外し続けて、アメリカに惜敗した反省が果たして十分に生かされているだろうか。
正直なところ、微妙である。このチームのキッカーは当初、FBの細川隆弘(神戸製鋼)が務めるはずだった。しかし、細川が右手中指の骨折に加え、左太腿に肉ばなれを起こしており出場は難しい。
「ゴールは山本に蹴らすつもり」と宿沢監督はいう。5日の関東代表戦ではPGを狙う場面はなく、12回のゴールキックを蹴り、9回成功。75%という成功率は合格点だが、うち8回は中央へのトライだった。力の差のあるゲームだったからこその現象である。そして右スミから2本、左中間から1本を外している。
しかし山本に多くを望むのは酷だろう。山本の所属するサントリーにはSO本城和彦、WTB沖土居稔と、プレースキックのスペシャリストが2人もいる(今春はCTB武山哲也が入部したので3人だ)。福大4年の大学選手権で、明大から2G3PGを決めた実績はあるが、チームでプレースキッカーを務めていない選手に、国際試合のキッカーを任せるというのは不安だ。
今回のメンバーでキックができるのは、あとはワールドカップのアメリカ戦で7回蹴って1回成功という吉永宏二郎(マツダ)と、同じく4回蹴って1回成功の朽木。吉田も蹴るが、5月1日の京産大とのオープン戦、11回ゴールを狙って成功は5本。5日の日体大戦でも3本狙って全滅。ジャパンのゴールキックを任せられるとは言い難い。
ワールドカップで惨敗したジャパン、昨年V2を期待されながら敗れ去った早大の例を出すまでもなく“キッカー不在”のマイナスパワーは大きい。また、入るかどうかはともかく、ハーフウェイ付近からPGを狙われるというのは相手にとって嫌なもの。しかも、キッカーがいないとみれば、反則ギリギリのプレーもできる。BKはオフサイドすれすれで飛び出し、敵にプレッシャーを与えることもできる。
悲観的なことばかり指摘してしまったが、ここに書いたことがすべて杞憂に終わることを願いたい。勝った負けたを別にしても、イージーなゴールがポンポン外れることほど、見る者を(選手本人をも)シラけせることはないのだから。
大友信彦 (おおとものぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。 プロフィールページへ |